大手塾で働いていた時から保護者によく要望されることがあります。
「うちの子は勉強の仕方がよく分かっていないように感じるので、勉強の仕方やコツを教えてあげてほしい。」
このようなお願いです。
自分でまなび堂という教室を始めた今でも、保護者から上記のようなニュアンスのお願いをされることはあります。
そういった依頼があるからするという訳ではないですが、必要を感じればまなび堂でも勉強の仕方や学習方法について生徒に話すことはあります。
ただ私個人の変化として、以前に比べれば「勉強の仕方やコツ、学習方法」について口酸っぱく生徒に話すことは随分少なくなりました。
生徒の学習に口を挟もうと思えばいくらでも言いたいことが出てきてしまいます。
しかし教室では口を挟みたくなるのをガマンして、「見守る」ことを自分に言い聞かせている方が多いです。
生徒に学習の仕方を修正させる場合でも、最低限になるように自分では心がけています。
理由はいくつかあるのですが、一番大きな理由は「出来るだけ生徒の学習を縛りたくない」という思いがあるからです。
よく「勉強はこうするべき」とか、「〇〇の学習では△△するな!」とか、「〇〇こそ最強の学習法だ!」なんて論調の記事や話を見かけたりしますがあまり好きになれません。
それこそが正しい勉強法と断定することで生徒が「もっと効率のいい学習方法があるかも?」と思考することを妨げてしまう可能性を感じるからです。
「〇〇するべき」と答えを決めた時点で、生徒がより成長できる方法に出会う芽を摘んでしまう危険性を感じるからです。
また、あまりにも「こう学習するべき」と勉強方法を縛ると生徒から学習の楽しさを奪ってしまっているようにも感じられます。
そう感じる理由は、かつて「こうするべき」と幾重にも縛られて学習している生徒の表情がつまらなそうに私には見えたからです。
私には10年間の業界経験しかありません。
少ない経験の中から言える事としては「教育」に全ての生徒に合う正解はないということです。
もしかしたら万人に合う教育方法があるのかもしれませんが、誰にも発見できていないことは確かです。
だからこそ指導する側は引き出しを多く持ち、生徒一人ひとりをよく見たうえで「最適と思われる選択肢」を示せるかで差が出てくるように思います。
まなび堂が教材を絞らないのも、そのような考えからです。
これは「教育」よりもっと狭い範囲で「学習方法」にも当てはまるでしょう。
教育に「正解」がないからこそ私は塾屋という仕事の面白さを強く感じます。
これは、大手塾を辞めた後でこの業界に残ろうと思えた理由の一つでもありますね。
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