昨日の話しの続きです。
ちなみに私は「教育にべき論は持ち出さないべき!」なんてことを言うつもりはありません。
「~すべき!」と答えを決めることで自分自身の思考まで停止してしまうので。
このブログで、学習の場における「~すべき!」という論調の話しが良いか悪いかということを語るつもりは全くありません。
単純に私の好みの問題です。「好き」か「嫌い」かです。
私は学習や教育の場における「~すべき!」という話があまり好きでないだけのことです。
まなび堂は学習の場における「~すべき!」という話しが好きでない人がやってる塾なんだぐらいに思ってもらえればと思います。
本屋に行くと教育や学習についての「~すべき!」といった類の書物は簡単に見つかりますね。
例えば「子供は褒めて伸ばすべき!」とか、
「褒めると子供はダメになる!」とか。
こういった本や話に目を通すことは私もします。
ただし、「何かヒントがあればいいな」くらいの気持ちで読むように心がけています。
私には短い業界経験しかないですけど、前回も書いたように教育に万人に合う正解はないように感じます。
現時点では、それだけは間違ってないと思っています。
だから、まるで「それこそが最善である」というような話を見聞きすると違和感を感じるんです。
毎度同じようなことを書いて申し訳ないのですが、塾の先生が「これこそ最善の学習法だ!」的なブログ記事書いてるのを見ると私にはとても違和感があるんです。
例えば、ある塾の先生がブログにこんな記事を書いていたんですね。
以下引用です。
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どの学年においても、英語学習で絶対にやってはいけないことがあります。
それは、英語の読みがなをふることです。
これでは英語を読むときに、ふった日本語を読むため、一向に英語が上達しないばかりか、むしろ、英語脳が衰退してしまいます。
これは、中学1年生に多いことなのですが、普通の生徒さんでしたら、放っておくと必ずこれをしでかします。
塾に通われていれば塾の担当講師が指導できますが、家庭学習では正直、誰の目も届きません。
親御さんがしっかりとお子様の教科書をチェックしてあげてください。
で、よみがなをふっていたら、すべて消すようにご指導願います。
中には、親御さんがよみがなをふらせるご家庭もありますが、この記事をご覧になられましたら、すぐにそのご指導方法は中止なさってください。
「英語学習では、絶対に英語のよみがなをふってはならない。英語脳が衰退して、取り返しのつかない事態へと発展してしまうからである」
引用終わり
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ここまで言い切れる塾の先生ってよっぽど自信があるんでしょうね。
それとも書いている本人の思考が停止しているのか。
この記事の内容は「英語はフリガナを振らずに勉強すべき」と言い換えられますね。
因みに私が以前ここで紹介した小学生用の英語教材は英単語やアルファベットにカタカナで読み方が振ってあるんですね。
この教材に限ったことではなく、市販されている小学生用の英語教材はカタカナで読み方を書いているものはとても多いですよ。
上のブログ記事のように「フリガナ振ると英語脳が衰退する」理論でいくと、市販されている多くの小学生用英語教材はアウトになりますね。
私は生徒が英語に読み仮名ふって勉強していようが、読み仮名ふらずに勉強していようがどちらでもいいと思っています。
大事なのは生徒が学習面における「目的」や「目標」を達成出来るかどうかです。
中学生ならば、「定期テストで80点以上取る」や「〇〇高校に合格する」といった目標です。
もっと短期的な目標や目的でもいいと思います。例えば、「明日の英単語テストで10点満点取る」とか、「今日中に英単語を10個覚える」とか。
中学生でも、もっと先の目標を持っていて「将来海外に留学し語学力を磨いて外資系の大企業で働きたい!」というのが英語を勉強する目的になっている生徒もいるかもしれません。
英語学習の「目的」や「目標」をクリアする為に生徒が自分で好きな「手段」を選べばいいと私は思いますけどね。
英語が嫌いで嫌いで、将来英語を使わなくて済む職業に就きたいと思っている生徒がいたとします。
彼が英語を勉強をする「目的」が「とりあえず高校入試を乗り越える為」だったとします。
英語が嫌いで嫌いで仕方ないその生徒に、「英語にフリガナ振るな!」と言うのが最善の勉強方法の提示なのでしょうか?
あなたはどう思いますか?
私は英語にフリガナ振って勉強しようがフリガナ振らずに勉強しようが、生徒が自ら立てた目標をクリアする為に自分に合った「手段」を自由に選んでやればいいと思いますけどね。
フリガナ振らずに英語の勉強をするならば、単語の読み方を一つ一つ耳だけで覚えるか、先述の教材で説明されているような発音記号を見て読めるようにしなくてはいけませんね。
引用したようなブログ記事を英語嫌いな生徒が読んだらどう思うのでしょうね?
「やっぱり僕には英語は無理だ」と諦めてしまう生徒が出てきたりはしないでしょうか?
こういうことを考えていると、どうにも学習や教育における「べき論」に嫌悪感を抱いてしまうんですね。
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